Quantcast
Channel: シネマ日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 624

アイヒマンショー~歴史を映した男たち

$
0
0

ナチスについての作品はかなりの数見てきましたが、アドルフアイヒマンの裁判をテレビ中継した男たちの話という新しい切り口ということで興味があって見に行きました。

テレビプロデューサーのミルトンフルックマンマーティンフリーマンはアイヒマンの裁判をテレビ中継する許可を得るためにイスラエル政府と交渉。裁判官3人の承認を得られれば認めると言われる。ミルトンはニューヨークから撮影監督のレオフルヴィッツアンソニーラパリアを呼び寄せ、中継の撮影を依頼する。

裁判官たちはテレビカメラが見えると裁判の邪魔になり許可できないと言ってきたので、ミルトンたちは壁の向こうに小部屋を作りカメラをそこに隠して撮影することにして、許可をもらう。

いよいよアイヒマンの裁判が始まり、100人以上のユダヤ人被害者たちが衝撃の証言を始める。

まずミルトンたちが撮影の許可を得るまでの過程の描かれ方が少し淡泊過ぎて分かりづらかった気がします。政府との交渉は実際のシーンはなく、ミルトンのセリフで語られるだけだし、カメラを隠す作業もあとから壁を作り直したシーンが出てくるけど、もう少し時間を割いて大がかりに見せてくれたほうが、実際に撮影許可が下りたときの彼らの感動が伝わってきたんじゃないかなと思う。

監督のレオはアメリカで高い評価を得ていたのに、ハリウッドの赤狩りに遭い干されていたらしいことは、会話の中で何度か語られる。彼は優れたドキュメンタリーをたくさん撮っていて「悪」とされるものへの考えも深いらしく、アイヒマンのことをモンスターではなく思考が欠如した普通の人は誰でも同じ状況下に置かれれば彼と同じことをしてしまうものだ。と捉えている。これはいまでこそある程度浸透した考え方だけど、数年前に公開された「ハンナアーレント」で語られた「悪の凡庸さ」にもあったように、当時は驚きを持って迎えられた考え方だった。それをハンナアーレントが発表する前にレオが話していたのには少し驚いた。

しかし、ホロコーストのサバイバーである撮影助手の人は「俺はどんな状況にいてもあんなモンスターのようにはならない」と言う。あの狂った収容所で被害者としてそこにいた人にとって、アイヒマン以下ナチスはただのモンスターにしか見えず自分だってあんなふうになるよ、なんて絶対に思えないのは当然だっただろう。彼は裁判中に収容所の映像を見て失神してしまった。

サバイバーたちの証言やアイヒマンに見せられる収容所のむごたらしい映像の数々は、あの時世界に初めて発信されたものであり、それがテレビ中継されたということは世界中のリビングに衝撃を与えたことだっただろう。もし、この作品を見て収容所の映像を初めて見たという人がいたら、その時世界中のリビングで人々が受けた衝撃を同じように感じるのかもしれない。

レオは徹底的にアイヒマンの人間的な部分を映しだそうと躍起になる。そのことによってミルトンと対立したりもするが、彼は自分の信念を貫き、最後にはアイヒマンのほんの少しの表情の変化を捉えてみせる。

全体的に緊迫感はあるが、その雰囲気が一本調子になってしまったかなという印象でした。題材と役者の演技は良かったので少し残念だったかも。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 624

Trending Articles