この作品を知るまでパシフィッククレストトレイル(PCT)のことは知りませんでした。太平洋側のアメリカ=メキシコ国境からアメリカ=カナダ国境までの自然歩道を4~6か月かけて歩くらしいのですが、ウィキによると総延長4000キロ以上となっているので、この作品の主人公はどこかの途中地点からスタートして1600キロ歩いたってことなのかな。それでも十分にすごい。
主人公はシェリルストレイドリースディザースプーン。母ボビーローラダーンの死を受け入れることができず、ドラッグと男に溺れ結婚生活は(当然)破たんし、誰の子か分からない子を妊娠してしまうという堕ちるとこまで堕ちた女性が心機一転人生を立て直そうとこのPCTに挑戦する。
この自然歩道にはアメリカの大自然が残り、砂漠地帯、山岳地帯、雪山と色んなところを通らなければならない。要所要所には挑戦者たちのためのキャビンがあったり、途中の町があったりして、そこにあらかじめ必要になるであろう荷物を自分でもしくは後から家族などが送って来てそれを受け取ることはできるが、その間の道は過酷で、そこを一人きりでテントで寝泊まりして過ごす。
最初に書いたシェリルの境遇は、物語の始めに語られるわけではなくPCTを歩き始めたシェリルの姿から始まり、彼女がこの挑戦を通して自分の過去の行動や母親との思い出をフラッシュバックしていく形で観客に語られる。
シェリルは鬼のように重い荷物を背負い、1日目の夕飯で取扱説明書を見ながら使っているバーナーの燃料を間違えて持ってきたことに気付く。ここで彼女がこういう挑戦をするにはどれほど素人かということが分かる。素人な上に舐めて来ている。バーナーの説明書さえ初見だったくらいなんだから。どうやら登山靴もサイズの合わないものを履いているらしく足がだんだん辛い状況にもなってくる。
最初の一歩から「なんでこんなことに挑戦しようと思ったんだろ」と後悔しているシェリルだが、ぶーたれながらも歩みは一歩ずつ前に進めていく。そんな彼女に好感が持てる。
徐々に明らかになる彼女の人生。離婚したことは最初に分かるが、原因が彼女の浮気ということが衝撃だ。しかも「何度もね」と回想シーンの夫が言う。彼女は夫がいるにも関わらずドラッグに溺れ、手当たり次第に男と寝まくっていた。
少しずつ母親との思い出のシーンも語られるのだが、初めはよくこういう物語に出てくる問題のあるお母さんなのかと思って見ていたら、実は正反対。暴力夫から逃げ出し女手一つで自分と弟を育ててくれたお母さん。シェリルが大学時代には同じ大学に入って勉強しようという意欲もあるし、不幸な状況にあってもいつも鼻歌を歌って明るく過ごすすべを知っていたお母さん。大学時代のシェリルが生意気にも「娘が自分より教養があるってどんな気分?」なんて尋ねても「それが私の目標だったわ。娘を自分より教養のある女性に育てること」と言い切る立派なお母さん。そんなお母さんがガンで余命数ヶ月だと宣告されてしまう。妻であることや母であることという仮面を脱ぎ去り一人の人間としてこれからは生きていける、そう思っていた矢先の病だった。
シェリルにとってはあまりに大きかった母という存在。そんな精神的支柱を失い壊れてしまったシェリルの心。シェリルの無茶苦茶な行動は母の死に起因していたのだった。ドラッグと男に溺れながらも母親への罪悪感は捨てきれなかったシェリル。このままではいけないと彼女はPCTに挑戦したのだった。
女性一人のPCT挑戦というのは珍しいらしく、道中挑戦者たちの間でシェリルは話題になっていたらしい。女性だからということで親切を受けることもあったし、怖い目に遭うこともあった。過酷な自然の中でもしかしたら一番怖いのは人間に会うことかもしれない。それでもやはり人からのぬくもりを感じることのほうが多いのだろう。途中の町で出会った男性と一夜を共にするシェリルに「おいおい、まだそういうことする?」と思ったけど、あそこまで一人きりでずっといると人恋しくもなるだろうなと理解できる部分もあった。
シェリルの回想シーンはとてもヘヴィだけど、彼女の実際の道のりは過酷な状況に加えて、軽いユーモアを持って語られる。この語り口のうまさは脚本を担当したニックホーンビィのおかげかもしれない。そして、シリアスもコミカルも巧みに演じ分けるリースはさすがだと感じました。この作品でアカデミー賞、リースは主演、母ロビーを演じたローラダーンは助演でノミネートされていて、他にも受賞はなかったけどたくさんの賞にノミネートされていました。
最後に山中でおばあちゃんと一緒にいる男の子に出会って、シェリルに「Red River Valley」を歌ってくれるのですが、これがもう望郷の念を誘うのですよー。ワタクシも大好きな歌でなぜかじーんと来て涙ぐんでしまうんですよねー。この時シェリルはこの小さな男の子にお母さんを病気を亡くしたことを話すのですが、これが母親を亡くして以来初めて素直に誰かにその事実を話した時だったかもしれません。この子と別れたあとにシェリルは号泣するのですが、あれでまさに初めて彼女は救われたんだなぁと思います。
1人で1600キロ歩く映画と聞くと退屈に思われるかもしれませんが、全然そんなことはない作品です。
オマケ「朝陽と夕陽は見ようと思えば毎日見ることができる」自分から美しい物を見ようとする姿勢が大切というシェリルのお母さんボビーの名言です。
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わたしに会うまでの1600キロ
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