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Channel: シネマ日記
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エール!

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フランスの田舎町で酪農を営むベリエ一家。長女で高校生のポーラルアンヌエメラ以外は父ロドルフフランソワダミアン、母ジジカリンヴィアール、弟の3人全員が聾唖者。牛のエサの業者とのやりとりや、青空市でのお客とのコミュニケーション、家族の医者通いなどにポーラは欠かせない存在だ。

思春期ならではの一般的な悩みはあるものの、ポーラは特にそんな生活に不満を覚えていたわけではなく家族を支える存在として毎日を過ごしていた。そんなある日、学校で憧れている男子生徒がコーラスのクラスを取ることを知ったポーラは同じくコーラスのクラスを取ることにする。

そこでポーラはコーラスの指導のトマソン先生エリックエルモスニーノに才能を見出され、パリの音楽学校のオーディションを受けるよう薦められる。そのオーディションのためにトマソン先生の自宅にレッスンに通うことになるポーラだが、家族全員が聾唖者である彼女は家族に歌の道に進みたいということを打ち明けられずにいた。

こそこそとトマソン先生のレッスンに通っていたポーラだったが、毎日彼氏のところに行っているとお母さんに言われ、ついに歌のレッスンに行っていることを家族に打ち明ける。両親は歌のレッスンというのもさることながら、自分たちの家を離れてパリの学校に行きたいというポーラに大きなショックを受ける。

このベリエ一家のお母さんがなんともユニークな人で、ハリウッドの映画だったらもっと娘思いでしっかり者のお母さんというのが描かれそうだけど、ここのお母さんは結構わがままで騒がしくてあけっぴろげ過ぎて、ちょっと困った人って感じ。こういうお母さん像をストレートに描くところがなんだか妙にヨーロッパっぽい。

案の定ポーラがパリの学校に行きたいと言ったときはお父さんよりもお母さんのほうが取り乱す。ここで必要とされているのに聾唖の家族を置いて行くなんてわがままだと娘を責める。まぁそれは娘がパリに行ってしまうという寂しさの裏返しだとは思うのだけど。

お母さんが取り乱しながら、ポーラが生まれたときの話をします。ポーラが生まれたとき、耳が聞こえると知って私は大泣きした、と。聾唖の夫婦にとって障害が遺伝せずに娘が耳が聞こえるということが嬉しくて大泣きしたのかと思いきや、娘が自分たちと違うこと、自分たちの仲間でないことで泣いたというのだから、少し驚いた。え、なんて自分勝手なの。と正直最初は思いました。でも後からゆっくり考えてみると、そんなものなのかもしれないなぁと思い直しました。ずっと聾唖者として生きていた彼女たちにとって、耳の聞こえる人の気持ちは分からないものなのでしょう。そんな異質なものに娘がなってしまったと感じて悲しい気持ちになるのは仕方のないことだったのかもしれません。

ポーラの歌への情熱を理解できずにいる家族でしたが、ポーラの学校での発表会に行ったとき、ポーラの歌声は聞こえなくとも、ポーラの歌を聞いて涙を流している観客や一緒に口ずさんでいる観客の幸せそうな顔を見て、彼らの中の何かが変わりました。その夜お父さんはポーラの喉元に手を当ててポーラの歌を“聴いて”くれました。

家族のためにパリの学校をあきらめかけたポーラでしたが、今度は家族の後押しを受けてオーディションに向かいます。審査員と家族とトマソン先生の前で歌を披露するポーラ。この時途中からポーラは家族にも分かるように手話で歌詞を表現します。ポーラ役のルアンヌエメラの歌唱力が素晴らしいことももちろんありますが、この手話に涙があふれました。これまで、チャリティ的な番組などで手話付の歌というのは見たことがありましたが、このポーラの手話付の歌がこれまでテレビで見た取ってつけたようなものではなく真に家族への愛に溢れたものでとても感動しました。映画だって作り物なのに、取ってつけたようなものとは違うと表現するのはおかしいことかもしれませんが、それだけ物語に感情移入できていたのだと思います。

ポーラはトマソン先生の指導を受けてどんどん才能を開花していく役なので、思い切り上手に歌うシーンばかりでなく、背中を丸めて小さい声で歌うシーンなどもあり、あれだけの歌唱力があるルアンヌがそんなにうまくなく歌うというのはかえって難しかっただろうなと思います。トマソン先生の指導でどんどん歌が良くなっていくという演技ができるのはすごいと感じました。これから女優になるのか歌手になるのか分かりませんが将来が楽しみな女の子です。


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