これも「松嶋×町山未公開映画を観るTV」からのDVD化です。
1970年代から90年代にかけて北カリフォルニアで起こったカソリック教会のオリバーオグレディ神父が児童性的虐待を行っていた事件を追うドキュメンタリー。
このオグレディ神父が児童性的虐待をしているというのが明るみに出るのが、1970年代なんですが、その時に教会がどうしたかっていうと彼を離れた別の教区に移動しただけなのですよ。そして、そこでまた児童性的虐待が明るみに出て、また教会は彼を子どもたちから引き離して修道院に入れるという約束を反故にしてまたちょっと離れた教区に移動させる。新しい教区では何も知らない信者たちがまた被害に遭う。ということをずっと30年間も繰り返して、その報告を受けていたはずの教会のエライさんたちは、知らぬ存ぜぬを通しちゃって何のお咎めも受けないでいる。
驚いたことに、とあるエライさんは、オグレディ神父にレイプされた女児に対して「君は女の子だから、オグレディ神父のやったことは異常なことじゃないんだよ。君が男の子だったら問題だったけどね」なんてセリフまで吐いてる。それが人々を救うべき聖職者のセリフとは・・・ってか、俗世間に住んでるワタクシたちでも、こんなセリフ言わないよ。それこそ悪魔じゃないか!って感じだよね。しかも、オグレディは男児にも同じことしてるし。
このドキュメンタリーには何人か被害者の人たちも登場するんだけど、彼らはオグレディのせいで人生を破壊されちゃったんだよね。それだけでも十分に辛いのに、オグレディを罰するべき教会は彼を守り続け、年金まで支払うというのだから。普通に子供の時にそんな目に遭うだけでも十分辛いけど、彼らはカソリック教徒として育てられて、自分が信じてきたものに完全に裏切られた。家族ごと全員。カソリック教会の神父が赴任してくるとその信者の家族はみんなで神父を家に迎え入れ歓迎する。とある被害者の両親は「私たちは悪魔に娘を差し出してしまった」と涙していた。それが、オグレディの個人の問題で教会がきちんと対処してくれたのであれば、彼らも少しは救われたかもしれないけど、教会はただただ自分たちの面子を守ることだけしか考えてこなかった。
被害者たちがカソリックの総本山であるバチカンまで出向いて行って、法王に手紙を渡そうとするシーンがある。バチカンはなんと彼らを門前払いにした。ほんっとうにサイテー。カソリック教会は法王を頂点として完全なるヒエラルキーが成り立っている。その中で出世街道から外れてしまうスキャンダルを彼らは全力で隠ぺいした。
もうひとつ、この作品で非常に驚くのは当のオグレディ自身が登場してカメラの前でぺらぺらと自分の考えをしゃべる。あまりにもナチュラルに最初から登場するので、「え?この人は誰?」って思っちゃった。ちゃんとオグレディ神父と紹介テロップが入るにも関わらず、自分の見ている光景が信じられなかった。彼は現在故郷のアイルランドでもう少ししたら支払われる教会からの年金を待ってぬくぬくと暮らしているらしい。30年間子どもたちをレイプし続けて、おそらく名乗り出ていない被害者もいることを考えると数百人の被害者がいると考えられる男がアイルランドで普通に暮らしているなんてゾッとする。しかも、コイツは「被害に遭った子供たちに手紙を書こう。会って謝りたいんだ。最後にはハグできるといいね」とかもう虫唾の走るようなことを平気で言うんだよ。まぁ、それだけ頭がおかしいんだろうけど。周囲の人は彼が児童レイプ魔だってことも知らずにいるんだからたまんないよね。
このオグレディのついては個人的にかなりヤバイ奴だとは思うけど、作品中に登場する心理学者によると、カソリックの神父はローティーンのときに神学校へ行き、妻帯は許されず、非常に性的に未熟なまま大人になってしまう。その興味が自分と性的な精神年齢が同じくらいの子どもに向かう。と分析していた。神学校の卒業生の10%が小児性愛者だとも言われている。こうなると神学校は小児性愛者養成学校ってことにならないか?(と、こういうフレーズを書いたときには必ず「と言うと語弊があるかもしれないが・・・と続くもんだけど、今回は語弊があるとは思わない)
アメリカでのカソリック聖職者による児童性的虐待は10万件を超え、1950年以降カソリック教会が賠償金として支払った額は10億ドル以上と言われている。これでもバチカンを始めとするカソリック教会は知らぬ存ぜぬを貫くつもりなのか・・・
法王ですらこの状態を改しようとはしていないらしいんだよね…